河島直樹

村別 福岡県地理全誌

福岡県地理全誌巻之三十九 総説

 遠賀郡は筑前国の北東端に位置し、東は豊前国企救郡、南は鞍手郡、西は宗像郡に接し、中央部を遠賀川が流れて北の響灘に注ぎます。神功皇后や日本武尊など神代の伝説、国津の芦屋の賑わい、山鹿・麻生・開田・香月ら武士団の活躍など、ダイナミックな歴史が語られます
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28 中底井野村

中間市の遠賀川西岸にあり、中世底井野郷の名を今に残す地域です。現在、中間市の人口の9割は東岸の中間地区に集中していますが、江戸時代は唐津街道と木屋瀬宿のバイパスとして底井野往還が繁盛していました。田畠の産物にも当地の先進性がうかがわれます。
鎌倉記事

山鹿(麻生)資時  ー ある得宗被官の人生 ー 

「麻生荘・上津役郷・野面庄」の地頭代職を若くして相続した山鹿(麻生)資時だったが、その人生は飢饉と疫病の連続だった。また、水運を生業とするがゆえに、モンゴル帝国の風波に直面し、さらには、北条得宗家による権力の独占と戦時体制の構築は、「二月騒動」となって資時の命を奪っていく。
TOPICS記事

「壇ノ浦合戦」の船数の誇張について

平家物語の壇ノ浦の戦いに参加した兵船は、本当は何隻だったのでしょうか。どのくらいの大きさで、何人乗りだったのでしょうか。それが分かれば『平家物語』がどれぐらい船の数を誇張しているかが分かるはずです。
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64 大蔵村

鎌倉時代の麻生氏へ TOPICSへ 地理全誌へ 健康ウオークのしおりへ 福岡県地理全誌巻之三十九 (第五大区) 遠賀郡之一 (二十六小区二村之内)大蔵(おおくら)村 ...
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63 枝光村

八幡製鉄所の城下町として明治以降にめざましい発展を遂げた枝光。八幡東区の最北端に位置する鉄と坂の街は、文明開化以前はどんな村だったのでしょうか。
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62 前田村

八幡駅前の西側の地域です。製鉄所西門の前にあり、明治時代から高度成長時代にかけて発展しました。現在は高層マンションが20棟近く建ち新しい町並みが発達中です。でも、仲宿八幡宮、前田の盆踊りなど由緒ありげな地もあります。江戸、明治初期はどんな村だったのでしょうか。
八幡製鉄所記事

皿倉山健康ウオーク「じっくり歴史探訪コース」 あるガイドのネタ本

ネタバレ以外の何物でもない 第19回皿倉山健康ウオーク「THE OUTLETS KITAKYUSHU プレゼンツ じっくり歴史探訪コース」のガイドのしおり
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61 尾倉村

皿倉山麓に位置し、標高が30m~160mの傾斜地域で、皿倉山と洞海湾を望める美しい市街地です。八幡市民会館(もうすぐ埋蔵文化財センター)や八幡図書館など文化施設も充実。さて、150年前はどんな所だったのでしょう。
八幡製鉄所

皿倉山健康ウオーク(じっくり歴史探訪コース)のしおり   【非公認】

鎌倉時代の麻生氏へ TOPICSへ 地理全誌へ 健康ウオークのしおりへ ごあいさつ  第19回「皿倉山健康ウオーク」。今年は「じっくり歴史探訪コース」が追加され、八幡郷土史...
八幡製鉄所記事

鉄を作る歴史  

かつて鉄は金や宝石よりも貴重で高価な、しかも脆い素材でした。けれど人間の文明はそれを数千年かけて、安くて丈夫で普遍的な素材にかえました。このブログでは、製鉄における人間の努力と試行錯誤の跡をたどっていきます。
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65 戸畑村

筑前国の東端、遠賀郡戸畑村。今でこそ北九州市で最も地価が高い地域になっていますが、百五十年くらい前はどんな所だったのでしょうか?魚へんの漢字がたくさん出てきます。自信がない方は辞書のご準備を(笑)
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35 畑村

 八幡西区に「畑貯水池」という大きな溜池があります。昭和14年(1939)、八幡製鉄所など工場群の工業用水と急増した住民の飲料水を確保するために起工され昭和30年(1955)に完成しました。現在は貯水池の底に沈んでいますが、この地区には中世からつづく「畑村」がありました。どんな村だったのでしょうか。
八幡製鉄所記事

1901八幡製鉄所、建設前後のお話

日清戦争前の官営製鉄所建設構想、創業時の人事と苦難、製鉄所候補地の選定と用地買収、工場・官舎の建設工事にいたるまで、1901の陰には、ドラマティックな話がてんこ盛り。おまけに、伊藤博文と記念写真を一所に撮った人々の名前について
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34 香月村

日本武尊の部将「小狭田彦」に始まり、山鹿兵藤次秀遠の一族、浄土宗二世鎮西国師聖光の宗家として、長く遠賀郡に力を及ぼした香月一族の中心地香月村。数々の伝承がこの村を飾ります。
八幡製鉄所記事

竹久夢二と枝光メモ  -2人の製鉄職員-

竹久夢二は、明治33~34年、創業直前の官営八幡製鉄所で働きながら、枝光で生活していました。けれどこの話は、枝光でも東京でもあまり知る人がいませんでした。それはなぜなのでしょうか。夢二は枝光でどんな生活をしていたのでしょうか。
TOPICS記事

文永の役における元の戦艦900隻について

文永の役において、元軍の「戦艦900隻、兵員4万人」が北部九州を襲ったとされてきた。しかし、この数値はすこぶる怪しい。服部英雄先生の『蒙古襲来と神風』を参考にその実数に迫る。
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89 浅川村

洞海湾と遠賀川に夾まれ、江川の水深が浅くなることに由来すると伝わる浅川。けれど、中心には小高い山が屹立し神社が鎮座しています。この神社、なんの神様なのでしょうか?
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90 高須村

筑前国遠賀郡高須村、洞海湾と遠賀川を結ぶ江川に沿う小さな村である。2007年の人口は18,333人。北九州市内では最大規模のニュータウン地区として発展している。
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49 則松村

明治6~7年の旧遠賀郡「則松村」のデータを、福岡県地理全誌から紹介します。
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50 折尾村

最近、折尾新駅を中心に新しい街に変貌する折尾。江戸時代は、どんな街だったのでしょうか?
鎌倉記事

山鹿資氏およびその子孫たちにとっての元寇    

父「資時」の急死の後を受けて、北条氏から家督安堵された少年「資氏」。だが、その前途には国難「元寇」が待っていた。
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3 蘆屋村

福岡県地理全誌の遠賀郡「芦屋村」の部分を、「福岡県史」の影印版より、大きく読みやすく転写しました。資料としての提示ですので、できるだけ現代語訳しませんでした。ただ、筆者も分からずに調べたところは、私の備忘録でもありますので、注を付けさせていただきました。
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2 芦屋浦

「芦屋町」に続いて、「芦屋湊」です。この項は、港町らしく暗礁・船舶・漁獲高などが記録されています。遠賀川に架かる「垂間野橋」の記述も貴重です。
鎌倉記事

試論 宇都宮系山鹿家政は宇都宮氏か?                                                     

宇都宮系山鹿氏の祖「家政」は、はたして宇都宮氏なのか?どういう経緯で九州にやってきたのか。「尊卑分脈」「麻生文書」等から考察します。
村別 福岡県地理全誌

1.芦屋町  

明治六~七年、陸軍省からの指示で福岡県(筑前)が調査した各村のデータをまとめた『福岡県地理全誌』(福岡県史影印判)を読みやすく活字化しました。今後もボチボチUPしていきます。
村別 福岡県地理全誌

小嶺村(遠賀郡) 福岡県地理全誌巻之三十九  

鎌倉時代の麻生氏へ TOPICSへ 地理全誌へ 健康ウオークのしおりへ 51.小嶺村 八幡西区小嶺1―3丁目・小嶺・小嶺台1―4丁目・千代1丁目・船越3丁目・大平3...
遠賀郡 福岡県地理全誌

福岡県地理全誌(遠賀郡)

福岡県史所収の『福岡県地理全誌』が、縮小影印本なので字が小さく、老眼の私には読みづらいので、思い切って活字化してみました。1村ずつノロノロUPしていこうと思います。
TOPICS記事

Topics 5-8 花尾山城の「井戸」の類例? -村上城との比較-                           

北九州市には、国指定レベルでありながら、どこの指定も受けていない城が3つ(小倉城・長野城・花尾城)ある。この中の花尾城の「井戸」は全国的に類例がなく用途不明とされてきた。その価値を新潟県の国指定遺跡村上城と比較し、花尾城の保存整備について考える。
TOPICS記事

TOPICS 5-7 中世の米1石はいくら?           ーレファレンス事例詳細(蒲郡市立図書館)をスタートにー

米1石の値段を現代の貨幣価値に換算するのは想像以上に難しい。この問題に答えを出してくれる先生方が最近現れるようになった。しかし、文献が豊富な江戸後期に研究が集中し、中世にはまだ光が当たっていない。そんな難問に挑戦した悪戦苦闘の記録である。
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