河島直樹

郷土八幡

『郷土八幡第2号』

昭和54年、「八幡郷土史会」が財政困窮の中で編纂された「郷土八幡」第2号。核家族化の中で、ふるさとへの関心と知識が急速に衰え、歴史が老人の遊びと揶揄されるムードの中で、先輩の残した資料を見つめ直し、「八幡」の記憶を掘り起こした秀作です
村別 福岡県地理全誌

30 廣渡村

 遠賀川の河口に近く、中世文書にも表れる廣渡村。けれど、江戸時代の遠賀川改修工事により、村地は二分されてしまいます。そのあとこの村には、どんな生活が待っていたのでしょうか?
鎌倉

わたしと友だち専用パンフレット

鎌倉時代の麻生氏 八幡郷土史会アーカイブ TOPICS 私と友達のパンフ 福岡県地理全誌 健康ウオーク(歴史)  親しい友人が旅に行くとき、その人が歴史が好きな人であ...
鎌倉記事

鎌倉のパンフレットを作る(1) 「鎌倉の路」  

今回の鎌倉旅行のテーマは「できるだけ鎌倉時代の道をたどって、道幅や距離感を感じたい。目の前の街区が誰の御屋敷なのかわかるようになりたい」。その願いをかなえるために、鎌倉に関してずぶの素人が先達のブログ・論文・書籍などを読み漁って書いた自分用パンフです
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八幡郷土史会アーカイブ

鎌倉時代の麻生氏 八幡郷土史会アーカイブ TOPICS 私と友達のパンフ 福岡県地理全誌 健康ウオーク(歴史) 「郷土八幡 創刊号」  序 八幡郷土史会々長...
郷土八幡

郷土八幡 創刊号

ついに入手しました、「郷土八幡 創刊号」! 昭和48年の発行ながら、みずみずしい感性と真摯な学問で、すばらしいできあがりになっています。加えて、木村幸雄氏、能美安男氏、竹中岩夫氏ら、伝説的先生方の論考の数々!! 皆様、心ゆくまでご堪能ください!!!
鎌倉記事

江戸時代の戦記物しか史料がない!どうする? 

北部九州の歴史を述べるとき、多くの作者は「歴代鎮西要誌(要略)」「北肥戦誌(九州治乱記)」を軸にして話を組み立てる。しかし、両書は江戸中期に成立したいわゆる「戦記」である。その記事は信頼できるのだろうか?筑前山鹿氏関連の記述に突っ込みを入れてみた。
村別 福岡県地理全誌

29 上底井野村

中世の底井野郷の遺称地でもあり、江戸時代は往還沿いに殿様の御猟場・御茶屋・代官所などがあって、この地域の行政の中心地となっていました。かつては湿原地であったのを一人の賢いおばあさんが開田したという言伝えも残ります。
村別 福岡県地理全誌

0.総説

 遠賀郡は筑前国の北東端に位置し、東は豊前国企救郡、南は鞍手郡、西は宗像郡に接し、中央部を遠賀川が流れて北の響灘に注ぎます。神功皇后や日本武尊など神代の伝説、国津の芦屋の賑わい、山鹿・麻生・開田・香月ら武士団の活躍など、ダイナミックな歴史が語られます
村別 福岡県地理全誌

28 中底井野村

中間市の遠賀川西岸にあり、中世底井野郷の名を今に残す地域です。現在、中間市の人口の9割は東岸の中間地区に集中していますが、江戸時代は唐津街道と木屋瀬宿のバイパスとして底井野往還が繁盛していました。田畠の産物にも当地の先進性がうかがわれます。
鎌倉記事

山鹿(麻生)資時  ー ある得宗被官の人生 ー 

「麻生荘・上津役郷・野面庄」の地頭代職を若くして相続した山鹿(麻生)資時だったが、その人生は飢饉と疫病の連続だった。また、水運を生業とするがゆえに、モンゴル帝国の風波に直面し、さらには、北条得宗家による権力の独占と戦時体制の構築は、「二月騒動」となって資時の命を奪っていく。
TOPICS記事

「壇ノ浦合戦」の船数の誇張について

平家物語の壇ノ浦の戦いに参加した兵船は、本当は何隻だったのでしょうか。どのくらいの大きさで、何人乗りだったのでしょうか。それが分かれば『平家物語』がどれぐらい船の数を誇張しているかが分かるはずです。
村別 福岡県地理全誌

64 大蔵村

鎌倉時代の麻生氏 八幡郷土史会アーカイブ TOPICS 私と友達のパンフ 福岡県地理全誌 健康ウオーク(歴史) 福岡県地理全誌巻之三十九 (第五大区) 遠賀郡之一 ...
村別 福岡県地理全誌

63 枝光村

八幡製鉄所の城下町として明治以降にめざましい発展を遂げた枝光。八幡東区の最北端に位置する鉄と坂の街は、文明開化以前はどんな村だったのでしょうか。
村別 福岡県地理全誌

62 前田村

八幡駅前の西側の地域です。製鉄所西門の前にあり、明治時代から高度成長時代にかけて発展しました。現在は高層マンションが20棟近く建ち新しい町並みが発達中です。でも、仲宿八幡宮、前田の盆踊りなど由緒ありげな地もあります。江戸、明治初期はどんな村だったのでしょうか。
八幡製鉄所記事

皿倉山健康ウオーク「じっくり歴史探訪コース」 あるガイドのネタ本

ネタバレ以外の何物でもない 第19回皿倉山健康ウオーク「THE OUTLETS KITAKYUSHU プレゼンツ じっくり歴史探訪コース」のガイドのしおり
村別 福岡県地理全誌

61 尾倉村

皿倉山麓に位置し、標高が30m~160mの傾斜地域で、皿倉山と洞海湾を望める美しい市街地です。八幡市民会館(もうすぐ埋蔵文化財センター)や八幡図書館など文化施設も充実。さて、150年前はどんな所だったのでしょう。
八幡製鉄所

皿倉山健康ウオーク(じっくり歴史探訪コース)のしおり   【非公認】

鎌倉時代の麻生氏 八幡郷土史会アーカイブ TOPICS 私と友達のパンフ 福岡県地理全誌 健康ウオーク(歴史) 要項(抜粋、2024.3.28現在) 【開催日時...
八幡製鉄所記事

鉄を作る歴史  

かつて鉄は金や宝石よりも貴重で高価な、しかも脆い素材でした。けれど人間の文明はそれを数千年かけて、安くて丈夫で普遍的な素材にかえました。このブログでは、製鉄における人間の努力と試行錯誤の跡をたどっていきます。
村別 福岡県地理全誌

65 戸畑村

筑前国の東端、遠賀郡戸畑村。今でこそ北九州市で最も地価が高い地域になっていますが、百五十年くらい前はどんな所だったのでしょうか?魚へんの漢字がたくさん出てきます。自信がない方は辞書のご準備を(笑)
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35 畑村

 八幡西区に「畑貯水池」という大きな溜池があります。昭和14年(1939)、八幡製鉄所など工場群の工業用水と急増した住民の飲料水を確保するために起工され昭和30年(1955)に完成しました。現在は貯水池の底に沈んでいますが、この地区には中世からつづく「畑村」がありました。どんな村だったのでしょうか。
八幡製鉄所記事

1901八幡製鉄所、建設前後のお話

日清戦争前の官営製鉄所建設構想、創業時の人事と苦難、製鉄所候補地の選定と用地買収、工場・官舎の建設工事にいたるまで、1901の陰には、ドラマティックな話がてんこ盛り。おまけに、伊藤博文と記念写真を一所に撮った人々の名前について
村別 福岡県地理全誌

34 香月村

日本武尊の部将「小狭田彦」に始まり、山鹿兵藤次秀遠の一族、浄土宗二世鎮西国師聖光の宗家として、長く遠賀郡に力を及ぼした香月一族の中心地香月村。数々の伝承がこの村を飾ります。
八幡製鉄所記事

竹久夢二と枝光メモ  -2人の製鉄職員-

竹久夢二は、明治33~34年、創業直前の官営八幡製鉄所で働きながら、枝光で生活していました。けれどこの話は、枝光でも東京でもあまり知る人がいませんでした。それはなぜなのでしょうか。夢二は枝光でどんな生活をしていたのでしょうか。
TOPICS記事

文永の役における元の戦艦900隻について

文永の役において、元軍の「戦艦900隻、兵員4万人」が北部九州を襲ったとされてきた。しかし、この数値はすこぶる怪しい。服部英雄先生の『蒙古襲来と神風』を参考にその実数に迫る。
村別 福岡県地理全誌

89 浅川村

洞海湾と遠賀川に夾まれ、江川の水深が浅くなることに由来すると伝わる浅川。けれど、中心には小高い山が屹立し神社が鎮座しています。この神社、なんの神様なのでしょうか?
村別 福岡県地理全誌

90 高須村

筑前国遠賀郡高須村、洞海湾と遠賀川を結ぶ江川に沿う小さな村である。2007年の人口は18,333人。北九州市内では最大規模のニュータウン地区として発展している。
村別 福岡県地理全誌

49 則松村

明治6~7年の旧遠賀郡「則松村」のデータを、福岡県地理全誌から紹介します。
村別 福岡県地理全誌

50 折尾村

最近、折尾新駅を中心に新しい街に変貌する折尾。江戸時代は、どんな街だったのでしょうか?
鎌倉記事

山鹿資氏およびその子孫たちにとっての元寇    

父「資時」の急死の後を受けて、北条氏から家督安堵された少年「資氏」。だが、その前途には国難「元寇」が待っていた。
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