『麻生文書』を切り口に中世の北九州の状況や景観を想像します
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壇ノ浦合戦後、宇都宮系山鹿家政が、源頼朝の地頭代として山鹿庄に下向します。承久の乱、宝治合戦、元寇など数々の動乱の中で、山鹿(麻生)氏の人々はどのように生きていったのでしょうか。
2024.5.12(日)、第19回「皿倉山健康ウオーク」の歴史ガイド役になってしまった筆者が、官営八幡製鉄所草創期に関する、半年間の付け焼き刃の知識を、ネタバレ覚悟で公開します。
やっぱり八幡製鉄所はおもしろい!
昭和46年11月、八幡地区の郷土史7団体の連合組織として発足し、昭和62年6月、単一組織として再出発した「八幡郷土史会」の会報「郷土八幡」1~5号をブログ化する予定です。
とりあえず創刊号を掲載しましたが、購入の翌日だけにスキャナーの使い方がよくわからず、見苦しいページになってしまいました。追々直していきますので、以後の2~5号ともどもよろしくお願いします
2.南北朝時代の麻生氏
※ 準備中、1年後の完成を目指します
鎌倉幕府が滅亡し建武の新制が開始されましたが、後醍醐天皇と足利尊氏が決裂、敗れた尊氏は九州に落ち延びます。多々良川の戦いの後、麻生氏は足利尊氏に従って上洛、九州・近畿で活躍し、九州探題を支えました。
3.室町時代の麻生氏
※ 準備中、2年後の完成を目指します
足利将軍の奉公衆(親衛隊員)になった麻生氏。幕府の威光を背景に遠賀郡最大の勢力になります。大内氏とのつながりも強く、大陸や朝鮮半島との貿易でも頭角を現しました。
4.戦国前期の麻生氏
※ 準備中、3年後の完成を目指します
大内氏の国衆筆頭として高い官職を得た麻生氏。しかし、一族は分裂し、北・中・南に分かれて惣領職を争いました。大内・大友の抗争の狭間で当主たちは死力を尽くして家の存続を図ります。
5.戦国後期の麻生氏
※準備中、4年後の完成を目指します
毛利氏の後押しで麻生氏惣領となった隆実と地元の人々から支えられた鎮里。それぞれ豊臣と島津を後ろ盾に最終決戦に挑みます。しかし、戦い終えて後、麻生の名は北九州から消えていました。
いいお店、北九州
※スマホの写真の貼り付け方がよく分からず、準備中です
ラーメン、焼き鳥、洋食屋、中華、焼き肉、その他いろんなお店で、私が「いいな」と思ったお店を紹介します。