2024-06

村別 福岡県地理全誌

0.総説

 遠賀郡は筑前国の北東端に位置し、東は豊前国企救郡、南は鞍手郡、西は宗像郡に接し、中央部を遠賀川が流れて北の響灘に注ぎます。神功皇后や日本武尊など神代の伝説、国津の芦屋の賑わい、山鹿・麻生・開田・香月ら武士団の活躍など、ダイナミックな歴史が語られます
村別 福岡県地理全誌

28 中底井野村

中間市の遠賀川西岸にあり、中世底井野郷の名を今に残す地域です。現在、中間市の人口の9割は東岸の中間地区に集中していますが、江戸時代は唐津街道と木屋瀬宿のバイパスとして底井野往還が繁盛していました。田畠の産物にも当地の先進性がうかがわれます。
鎌倉記事

山鹿(麻生)資時  ー ある得宗被官の人生 ー 

「麻生荘・上津役郷・野面庄」の地頭代職を若くして相続した山鹿(麻生)資時だったが、その人生は飢饉と疫病の連続だった。また、水運を生業とするがゆえに、モンゴル帝国の風波に直面し、さらには、北条得宗家による権力の独占と戦時体制の構築は、「二月騒動」となって資時の命を奪っていく。
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